車椅子マークの正式名称は「国際シンボルマーク」正しい意味を知ってますか?

こんにちは、食いしん坊主婦・あゆ~ばです。

公共施設の駐車場やトイレなどにある車椅子マーク。ショッピングセンター、テーマパーク、高速道路、あちこちにあるので見たことない人はいないんじゃないかと思います。

この車椅子マークの意味、皆さんご存知ですか?車椅子や足の不自由な人のみが利用出来ると思っていませんか?そして「車椅子マーク」が正式名称だと思っていませんか?

本当は違うんですよ。世の中の人全員に知って頂きたいです。

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車椅子マークの意味

障害者の他、高齢者妊婦けが人などの移動、及び、施設利用の利便性や安全性の向上の為の駐車場。
ちなみにこの場合の障害者は、身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者を含む、すべての障害者を意味しています。

最近私がよく耳にするのは、妊婦の方への風当たりの強さです。なぜでしょう。
私は妊娠経験は無いので身をもってその大変さを知ってるわけではないのですが、そんな私でも、お腹が大きくなってきて日常生活ですら大変だろうとか、お腹が大きくなればなるほど腰に負担がかかるだろうとか、お腹に命を抱えてるという心配や不安な気持ちとか、多少なりとも分かっているつもりでいます。それは私が女だからとかは関係ないと思います。だって見てれば想像できるもの。だけど残念ながら、想像すらしない人がいるのが現実のようです。

「そこは障害者専用だぞ!」

とか

「親として恥ずかしくないのか!」

とか

「人間のクズだ!」

とまで言われた妊婦さんもいらっしゃるようです…。

車椅子マークの正式名称

正式名称は国際シンボルマーク
障害をもつ人々が利用できる建築物や施設であることを示す世界共通のマーク。

1969年に国際リハビリテーション協会が「各国ばらばらに使われているシンボルマークを統一して、障害者の物理的環境改善の為に使用しよう」という目的でデザインしたものらしいです。

いろんな考え方をしてほしい

私が子供の頃「困っている人は助けてあげましょう」とよく言われました。いまは「関わったら何をされるか分からない」という時代に変わった部分もあるとは思います。

ですが、それが周りの人を多面的に見れなくなってる1つの原因ではないかと私は考えています。分かりやすく「オイッ!」と思う行動をしてる(ように見える)人だけを敵視する。もしかしたら私の考えも、多面的ではないかもしれません。

例えば①

自分が国際シンボルマークに当てはまるとします。そして国際シンボルマークのトイレに並んでいて、そこから出てきた人が一見、健常者だったとします。その時あなたはどう思いますか?「健常者はちがうところを使ってよ!」と思うか「もしかしたら目に見えない障害があるのかもしれない」と思うか。

例えば②

自分が目に見えない障害、もしくは妊婦だとします。国際シンボルマークの駐車場に車を停めて降りると「そこは車椅子の人に譲れ!」と罵倒されたとします。その時あなたは「なんで間違ったことしてないのに、自分がこんなこと言われなくちゃいけないの!?」と思いますか?それとも「この人は、国際シンボルマークの意味をちゃんと知らない人なんだ」と思いますか?

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まとめ

こういうのは、当事者にならないと本当の気持ちは分からないかもしれません。想像以上に傷つき悲しくなるかもしれない。私も経験は無いので、罵倒されたら実際はキレてしまうかもしれない…。

仮に国際シンボルマークの意味をちゃんと説明しても、世の中「わからず屋」ってのはいるものです。説明するだけ無駄かもしれない。でも次からその人は、いろんな考え方をするようになるかもしれない。もしくは私の説明を疑って、家に帰って国際シンボルマークについて調べるかもしれない。その行動が、自分と同じ境遇の人を明日傷つけないで済むかもしれないんです。困ってる人を先回りして助けたと思えば、少しは救われませんか?綺麗事と思う方も居るとは思いますが💦自分で自分を追い込まない為にも、多面的な考え方は大切だと思います。

言葉は悪いかもしれませんが、ボケ始めた人は欲を我慢出来なくなると聞いたことがあります。列に並んでられなくて横入りをしちゃうとか、思ったことを感情のまま口にしちゃうとか。罵倒してきた人が、もしかしたらそういう状態の可能性もありますよね。もちろんただのキレやすい人かもしれませんけど(´∀`;)でもその人がどんな人かも分からなければ、目に見えない病気なんてもっと分かりませんよね。

「例えば①」のトイレの場合だって、本当に健常者が使用していたかもしれない。何も考えてない人かもしれないし、お腹が痛くて我慢出来なかった等の理由があるかもしれない。

ルールは大切なことだとは思います。でもそのルールが絶対という考えは、時に困っている人にひどい事をしてしまう可能性もあります。自分の正義感を守るためにとった行動が、実は弱者を傷つけてしまったり、時にそれが間違っているという事もあるかもしれません。

怒ったり悲しんだり喧嘩する前に、どうか見えないものを想像してみてください。相手が困っているのなら、大変そうなら、知らなそうなら…そういう場合は、間違えていても良いじゃないですか。困っている人を助けるって、私はそういうことだと思います。

長くなりましたが、車椅子マークではなく国際シンボルマークだということ。せめてそれだけでも覚えて頂きたいです。

 

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