こんにちは、食いしん坊主婦・あゆ~ばです。
パニック障害
ある朝に急に表れた謎の不安。
そして外に出る恐怖心。
毎日毎晩、朝が来ることにとてつもない不安と恐怖を抱いていました。
パニック障害が発症しだした詳細はこちらをご覧ください↓
パニック障害の原因は環境の変化に弱い性格?急に表れた謎の不安 朝が来るのがたまらなく怖かった
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Contents
電車に乗れない
外に出るのも怖いのに、通勤ラッシュ時の駅付近は私をおかしくさせました。手が震え、吐き気に襲われ、どうしても駅の改札を通れない日が少しずつ増えていきました。
しかし一緒に暮らしていた親にそのことが話せず、毎朝いつも通りに家を出ていました。
家族に相談出来なかった理由
なぜ親に言えなかったのか…
話したら親身になって聞いてくれたとは思います。
ですが私は、自分がこんな精神状態になってしまったということが、親に申し訳ないという気持ちで話せませんでした。
多分ですが、高校を卒業してからほぼニートのフリーターとして生きてきた自分に、劣等感があったからだと思います。
事務職もバイトなので、結局フリーターということに変わりはありませんが、ほとんどの人と同じ生活スタイルで生き始めた私を見て母は嬉しそうにしていました。そんな母をまたガッカリさせてしまうのではないか、「私の娘はダメな人間」と思わせることになるのではないか、そういう思いが「親に申し訳ない」という気持ちに繋がっていたのだと思います。
ただ、そもそも親に相談するかどうかをしっかり考えられたわけではありません。「冷静に考える」「冷静な判断をする」ということ自体が、あの精神状態では出来ないんです。
何を考えていても「時間が過ぎてく…また朝に近づいてる…」という恐怖心に私は全てが繋がっていきました。
出勤せずにネットカフェに引きこもり
完ぺきに出勤出来なくってからは、出勤するふりをして夜まで地元のネットカフェに引きこもりました。
会社に欠勤の電話をかけるのも怖かったので、一番仲の良かった唯一の同期にメールで伝言をお願いしていました。社会人としてはあるまじき行為ですが、あの時はどうしようもありませんでした。
ですが、平日好きな日に1日休みを取ることが出来る会社だったので、同期の休みの日は自分で会社に電話をするしかありませんでした。そんな日は手を震わせながら携帯のボタンを押し、ネットカフェのトイレから電話をしていました。
ある日の電話の話…
早く出勤していた違う部署の女性が出て
「分かりました。ねぇあゆ~ばさん、いつも◯◯さん(同期)に欠勤の伝言お願いしてるでしょ?ダメだよ?自分で電話してこなきゃ」
と、かなりの怒り口調。
その人はクールな感じで、心の読めない表情が私は苦手でした。
ですが部署が違うので、これまで関わることはほぼ無かったのですが、まさかその人に、まさか違う部署の人に怒られるとは思っていなかったので、その状況にパニックが悪化。手の震えがひどくなり、呼吸が苦しくなってきました。
「すみません」とだけ言い電話を切ると、足早に自分の席に戻り身体を縮こまらせ、震える手と手を力強く握りしめました。
あの人が怒るのは無理もない話です。
むしろ社会の先輩として若者に注意をしてくれたのですから感謝すべきことだと思います。
ただ、当時の私の思いとしては「そんなこと分かってるよ!それが出来ないから頼んでるんじゃん!」というものでした。
でも私のこの精神状態を知る人は同期だけ。あの人が知る由もありません。
ほぼ毎日ネットカフェに通い詰めたせいで、それまで貯金してきたお金はあっという間になくなりました。
「辞める」という選択肢が頭に無かった
ほぼ毎日地元の駅の改札を通ることが出来ませんでしたが、ちょっとした勢いで通れる日もありました。
頑張って電車に乗れた日もあります。
ですが恐怖心に耐えられなくなり1つ前の駅で降りてしまったり、目的の駅まで行けても吐き気に襲われたり…。
頑張って会社まで行った日は、必死に最後まで仕事をしました。
仕事中より休憩中のほうが地獄でした。
社内の大半の人達は、挨拶はもちろん私に話しかけてこなくなりました。
人と関わりたくないので良かったは良かったのですが、どっか行けよ的な雰囲気を出されてもどこにも行くところはなかったので…。
仕事のことで私が話しかけると、頷いたり必要な物を渡したりといった行動は取ってはくれますが、目を合わせてくれない人も増えていきました。周りのみんなが、私がサボってると思っていたのかどう思っていたのか全く分かりませんが、周りのその冷たい態度は当然の結果だと思っていました。
それでも、検品する部屋などで二人っきりになると話しかけてきてくれる人もいました。みんなの前では話しかけてこないとは言え💧あの時のあの人の優しい笑顔は忘れません。
仕事に行けたある日のことでした。
各部署に「お先に失礼します」と挨拶を済ませタイムカードをきりに行くと、会社全体のチーフがわざわざ私のところにやって来ました。
そのチーフは男性で、優しい人でした。
「あゆ~ばさん、最近欠勤することが多いでしょ?どこか体調が良くないのかなぁ?体調が悪くて欠勤するのはしょうがない事だから別に良いんだ。ただね、まだしばらく続きそうなら長期休暇にするとか、少し考えないといけないから…。でも欠勤の連絡をするより、あゆ~ばさんも気持ちが楽なんじゃない?頑張って出勤出来るならそれが一番良いけど………(ずっと無言で困っている私を見て→)もしかして長期休暇もキツイ?(^_^;)どうしても無理なら、辞める?もちろんどうしたいかはあゆ~ばさんが決めて良いから。」
と言われました。
私は即「辞めます」と小さな声で答えました。
長期休暇という言葉を聞いた時、そんなことも出来るんだと思いました。ですが、ただでさえアウェイ状態になってしまった職場に、長期休暇なんかしたら精神的に復帰出来るのだろうか…というのがその時の私の気持ちでした。
そして「辞める」という言葉を聞いた時、私はハッとしました。
なぜ「辞める」という選択肢が今まで出てこなかったんだろうと。
辞めれば人に会わなくて良いし、ネットカフェにお金を使う必要もない。親にパニック障害だとバレないように気をつけなくて良くなるかもしれないし、朝が来ることに怯えないですむかもしれない。
なぜ早く辞めなかったのだろう…
なぜよぎりもしなかったのだろう…
本当にそう思いました。
でも今なら分かります。
冷静に考える力が無くなるんです。
普通の人なら当たり前に分かることも想像すらつかなくなります。
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仕事を辞めて…
朝のアラームの音が怖く、カーテンの隙間から漏れてくる朝の光が怖く、リビングから聞こえてくる朝のテレビの音が嫌いになっていたあの頃。
パニック障害の引き金となった仕事を辞めてから、パニック障害の症状は少しずつ少しずつ改善されていきました。
全ての症状が急に消えるわけではありませんでした。
ただ、私は吐き気や過呼吸のような苦しさはけっこう早くに出なくなったと思います。次に手の震えが消え、恐怖心が弱くなり、不安心が弱くなった感じだったと思います。
仕事を辞めてから、学生時代の友人たちと呑みに行きました。楽しい気持ちはあったのですが、他のお客さんの笑い声で急に怖くなり手が震えたり、ただ駅や電車というものに不安になったり、友達と一緒でもまだダメな時はダメなんだと思ったのを覚えています。
まとめ
あれから11年。
あれ以来パニック障害の症状は一度も出ていません。
あれ以来 事務の仕事はしていません。
事務のバイトを辞めてから4か月ほど無職でした。
その後、その会社と同じ最寄り駅でバイトをしてみましたが大丈夫でした。ただ、事務の会社より入りが1時間遅かったので、通勤ラッシュには乗っていませんが…。
まさか自分が…と思っていた精神病。
パニック障害なんて言葉すら知らなかった私は、こんな病気があると知ったときショックでした。
私の場合は原因が原因だったので、ダメ人間・社会不適合者だと言われてる気になりました。
でも「社会不適合者が本来の普通の人間の感覚だ」と今では開き直って生きています!
その道で生きるのが辛いなら、違う道に進路を変えれば良い。
しんどければ今の仕事を辞めれば良い。
学校だって転校すれば良い。
その場所で戦い続ける必要なんかないんだよ。
逃げることの何が悪いの?
大丈夫、何も考えなくて良い。
人生には、休むことが必要な時期もある。
数日でも、数か月でも、数年でも。
人生80年だとしたら、その休んでる期間なんて大したことない時間だよ。
その時間がもったいないって思う日が来たら、また歩き出せば良い。
不安なら素直にドキドキしてて良い。
怖いなら素直に震えていて良い。
仕事や学校に行くのがキツイなら辞めれば良い。
我慢しないのは、悪いことじゃないから大丈夫。
と、今の私は思います(uu )