歴史ある牛丼屋といえば《吉野家》
2016年9月現在、吉野家は国内外に約1800店もあるそうです(✽ ゚д゚ ✽)
そんな数多くある吉野家ですが、1号店は魚市場の築地にあります☆昭和34年に開店して約60年!築地市場で働く人々に愛さ続けている店舗です☆
でもね、築地にある今の店舗が出来て約60年ってことであって、吉野家自体の歴史は100年以上!明治時代にまで遡ります★
スポンサーリンク
Contents
吉野家は魚市場で働く人達のために生まれた
現在は築地にある魚市場ですが、明治時代は日本橋に位置していました。
そして、最初の最初の吉野家も日本橋の魚市場にあったんです☆
魚河岸で働く職人さんたちは、いったん仕事が始まるとろくに食事をする時間もありません。
そこで、当時はしりだった「牛めし」に目をつけたのが、吉野家の創業者・松田栄吉さん。魚市場で働く職人さんたちに、美味しいものをお腹いっぱい食べてもらいたかったそうです。
魚市場と共に移転する吉野家1号店
1926年(大正15年)
関東大震災により、魚市場は築地に移転。
それに伴い、吉野家も築地に移転しました。
2016年現在も、魚市場の移転が考えられていますね。
当時とは違い、現在はたくさんの店舗をもつ吉野家。吉野家1号店はどうなるのでしょうか?市場で働く人達のために、また魚市場と一緒に移転するのかな?でも今回はさすがに「1号店」という名前は取られてしまうかな…。
人気すぎて立ち食い牛丼!
築地での吉野家の評判は日に日に広がり、カウンターの後ろにお客さんが2~3重になって席を待つほどの人気っぷりだったそうです(✽ ゚д゚ ✽)
だけど市場で忙しく働く吉野家のお客さんたち。その為、席が空くのを待ちきれず立ったまま食べることもあったそうで(・_・;)そんな立ち食いのお客さんも箸を取りやすいようにと、箸立ては壁に設置されたそうです(゚д゚)!
現在も吉野家築地1号店は、当時のまま箸立ては壁に掛けられています☆
魚市場で働く人達への愛がハンパない!
築地で大人気を得た吉野家☆
しかし、また問題が起こります…。
1945年(昭和20年)
東京大空襲
吉野家は店舗を焼失しました。
それでも吉野家はめげませんでした!
「市場の復興に携わる人々に活力を提供したい」という思いで、戦後すぐに屋台で商売を再開したそうです!
食材も充分に揃わぬ状況下での営業は、とても大変だったと思います…。吉野家の、魚市場で働く人達に対する愛の強さがハンパない💓💓(T T)
おなじ年、松田栄吉さんの息子・瑞穂さんが店を継ぐことになりました。
松田瑞穂さん、後の初代社長です☆
高級牛丼?なのに大人気!
1947年(昭和22年)
築地市場で店舗営業を再開させた吉野家☆
当時の吉野家の牛丼は、鰻重と同じくらいの価格だったそうです(*_*)
今では「はやい・うまい・やすい」がコンセプトとなっている吉野家ですが、これは他店舗化に向けて歩み始めた1962年頃からの話。
この当時の吉野家は「はやい・うまい」の2文句がモットーとなっていたそうです(゚д゚)!
現在の吉野家築地1号店
営業時間 | 5:00~13:00 |
定休日 | 水曜、日曜、祝日 |
牛丼(並盛) | 380円 |
牛丼(アタマの大盛) | 480円 |
築地1号店でしか注文出来ないメニュー
初めて聞く人には言葉の意味が理解出来ないであろう注文方法です(笑)
例えば…
- 「半シャリ ネギだく」
→ご飯半分 タマネギ多め
- 「並 ネギだくだく」
→並盛り タマネギたっぷり
上記のように、築地1号店ならではの注文方法が存在します。
ネギだくだく(並盛380円)は、築地1号店だけで注文出来る特別商品☆他にも、牛丼のタマネギが乗ったネギだけ(並盛380円)という特別商品もあるそう。
こんなワガママな要望をOKとしてくれるのは、常連の多い築地1号店ならでは☆間違っても、他の店舗でこんなムリを言うのはやめましょう。今流行りの「モンスター◯◯」になっちゃいますよ!