こんにちは、食いしん坊主婦・あゆ~ばです。
私は27歳で結婚しました。入籍の3ヵ月前まではずっと実家暮らしで、家事は全部母親がやっていました。
子供の頃に、お米の研ぎかた・洗濯物の畳み方・ハンカチなど簡単なもののアイロンのかけ方くらいは教わり、一人でやらせてもらえました。ですが他のことは…。
うちの母はなんというか、自分のこだわり通りにやらないと気が済まない質でして…洗濯物の干し方(並び方)や、料理の仕方など、母なりのこだわりを家族にも求めてきます。なので、料理を手伝っても途中で取り上げられるし、洗濯干しを手伝ってもやり直しさせられていました(-“”-;)
フライパンで炒め物をするとき、私の炒め方にムラがあったのでしょう。玉子焼きを作るとき、私の不器用さに呆れたのでしょう。母はあからさまにイラついていました。「あ”ーもう貸して!」と、何度菜箸を奪われたことか(# ̄З ̄)
「手伝い」という言葉とは逆に、邪魔になっていたのは確かだと思います💧
ですが子どもにとっては「親の力になりたい!」という気持ちで動くのがお手伝いをするということ。親にとっては「子どもに教えてあげたい!」という気持ちで見守るのが、手伝いをさせるという事だと私は思います。
結婚した今、私にもこだわりはあります。出来れば台所に入ってほしくないし、洗濯物も自分で干したい。でも人間はやらないと分かりませんし覚えません。
私は小学生のある時から、料理と洗濯干しを一切手伝わなくなりました。どーせ菜箸奪われるし。どーせ文句言われるし。どーせイラつかれるなら「あんたは何もしない」と怒られるほうがまだマシだ!そう思ってしまったんです。
結果、料理が出来ないまま大人になりました。
さっき例に挙げた玉子焼き。途中までは分かります。でも巻くところからは菜箸を奪われていたのでコツが分からない💦あんなの見て出来るようなもんじゃないし!
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Contents
見守る子育てとは
母の居ない日に、晩ご飯を作ったことがあるんです。肉じゃがとお味噌汁、そして父の好きな玉子焼き。たしかあれは21歳のとき。
まずは玉子焼きから…
少し焦げちゃったうえに、母のようにきれいには巻けず、少しくずれた不格好な玉子焼きが出来上がりました。包丁でカットして、切れ端を自分で味見…びっくりしました。
天才的にまずい( ̄□ ̄;)!!
読書をしていた父に報告💧父は大笑いして「初めはそんなもんだろ」と言いました。
続いて肉じゃが…。
料理本を見ながら、順調に進めていく。そろそろ良いかなぁ~とまた味見。
…何かが足りない…。
けど何かは分からない💧
またしても父に報告。そして横になっている父の口に急に玉ねぎを入れる(笑)味見をしてもらわないと分かりませんからねぇ。父は「全体的に味が薄い」と💧
と言われても、味の足し方が分からない💧
「水分減ってるんだけど、この状態のまま醤油入れちゃって良いの!?」
「ってか顆粒ダシも足すの!?」
「肉じゃがって砂糖こんなに入れるものなの!?」
次から次へと読書をしている父に質問攻め(笑)
なんとか味を足し、しばらくしてまた味見。
…熱すぎて味が分からない💧💧
ということは…
困ったときのお父様~✨(笑)
今度は「熱いよ~」と言いながらも、横になっている父の口にさっさと玉ねぎと肉を入れる。
「あ”っち!!( ̄口 ̄;)!!」と望んでた反応を見せてくれながらも「砂糖が足りない」と的確なアドバイス(笑)
そんなことを何度か繰り返してるうちに父が「味見だけでもうお腹いっぱいなんだけど」と💧
/(^o^)\ナンテコッタイ
しまいには「いいんじゃない」と絶対適当な返事!でもまぁ、まずくはないってことだな!と勝手に判断し、お味噌汁に取りかかる。
お味噌汁は、自分で出汁を取ったりはせず、顆粒の和風だしを使いました。具は忘れたけど、豆腐となにかだった。味噌汁も料理本を見ながら、水の分量や味噌の量まで丁寧に計りました(笑)だって分からなかったんだもん(・ε ・`)一応味見して「たぶん平気な気がする」というレベルで終了☆肉じゃがで疲れちまったもんで(´ε`;)
そして晩ご飯の時間…
玉子焼きを食べて無言の父。
肉じゃがを食べて無言の父。
お味噌汁をのんで無言の父。
自分でも食べる。
玉子焼き、やっぱりまずい。なんかボソボソだし味があまりしない。
肉じゃがの味はまぁまぁだけど、じゃがいも堅ッ!
お味噌汁は…別に美味しくはない。
父に玉子焼きが失敗したことは伝えてあったし、肉じゃがは散々味見させたけど(笑)でもお味噌汁は未知の世界なはず!!
私「ねぇ!お味噌汁美味しい?」
父「うん」
私「…本当に美味しい?」
父「うん美味しい」
私「本当に!?」
父「(笑)本当に」
`,、(‘∀`) ‘`,、 満足な私✨(笑)
そして次の日。
母「ただいま~。おっ!味噌汁がある」
私「のんでみなよ!(←自慢気に)」
母「ズズッ…。お父さーん!あゆ~ばの作った味噌汁薄かったでしょー?」
父「(隣の部屋から)…うん。」
お父ちゃん…。あゆ~ばはしつこく確認したじゃないか(泣)美味しいと言ったじゃないか(泣)
母「娘が作ってくれたら父親は嬉しくて文句なんか言わないわよ(笑)」
お母ちゃん、すべてお見通しよ的な感じですか?(泣)
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父の行動から学んだ“料理は愛情”
結果、父には美味しくないものばかりを食べさせてしまいました💧
ですが思ったことがありました。それは父の愛情です。私のしつこい味見にも面倒くさそうにはせず、見た目や味に文句を言ったり怒ったりもせず、きれいに完食してくれた父の気持ちがたまらなく嬉しかったです。
そして私は私で、美味しいものを食べさせてあげられなかった時の悲しさを知り、美味しいものを作ってあげたいという気持ちを知ることが出来ました。これは、食べてくれる人への愛情。
まとめ
私は、子供時代に菜箸を奪った母の行動を、未だに良くなかったと思っています。父がしてくれたように、母にも見守ってほしかった。もちろん、それでも食らいついて覚えようとするかどうかは自分次第ですから、いい年になるまで料理が出来なかった責任は自分にあります。
“子どもを見守るだけ” という教育が一番難しいと聞いたことがあります。
自分が親になった時どれほど黙って見守れるか、まだ子どものいない私には分かりかねます。そう考えると、料理と洗濯干し、そして門限。この3つ以外は、母も黙って見守ってくれていたなぁと思います。
結婚したとき、親に感謝出来るようになりました。
30歳になった今、当時の親の気持ちが少しは理解出来るようになりました。
親のすごさ、親の偉大さを思い知るのに時間がかかったのは、結局親に甘えていたから。
親に対してだけではなく、物事の現状を誰かのせいにしてるうちは、自分が成長出来ていない証拠だと思います。
愚痴や弱音を吐き出す場所はあって良いとは思います。でもその度に、自分がまだまだ甘ちゃんだということを自覚しなくてはなりません。
吐き出して→自覚して→反省して→成長する
産み育ててくれた両親や、大好きな友人。いつも見守ってくれている旦那さま。素直に感謝し続けられるよう、これからもっと心を成長させていきたいです!